入谷南公園
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高度経済成長下、日本の都市域では深刻な住宅不足が顕在化した。そのような問題を受け、1955年(昭和30年)に日本住宅公団が設立された。公団は当時、年間に1つから35戸の集合住宅団地を供給していたが住宅公団が採用した居室は、新しい生活様式の普及を促進した。その団地の屋外空間として誕生したのが集合住宅の住棟間のオープンスペース「団地造園」であり、居住者が安全に通行できる歩行者専用道すなわち「ペデストリアン·スペース」が線状の緑地を形成し、要所に子どもの遊び場として「プレイロット」が配置されていた。
この時期特に子どもの遊び場は、住宅公団や建設省の造園技師などによって多面的に研究されることとなる。1957年(昭和32年)には「遊び場の研究会」が池原と北村信正(東京都)の肝煎りで発足する。建築家の小川信子のほか、川本昭雄、田畑貞寿などの造園家が多数参加した。
この研究会は毎月討論会を設けて遊び場に関する議論を交わし、池原謙一郎によりその成果として、当園が生み出された[9]。
当園では「プレイ・スカルプチャー」という観念のもと[10]、高さ4メートルの「緑の山」、お椀を伏せたような「石の山」、すり鉢状の「子供センター」など、斬新な空間造形を施したものが並べられた。