全国高等学校野球選手権京滋大会
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大会名変更
50回行われ、滋賀県勢の優勝4回、京都府勢の優勝46回と、京都府勢が圧倒していた。
1931年(第17回)から各府県予選が実施されたが、1934年(第20回)までは滋賀県予選上位2校と京都府予選上位4校の6校による準々決勝ないし準決勝方式、1935年(第21回)から1940年(第26回)までは各府県予選上位2校ずつの4校による準決勝方式だった。このこともあって、26回中22回も決勝が京都府勢対決となった。なお、26回中4回の滋賀県勢決勝進出はいずれも各府県予選実施以前の大会である。1946年(第28回)以降は各府県予選勝者による決勝方式となった。
滋賀県勢の初優勝は1953年(第35回)で、同時に47都道府県中45番目に全国大会初出場を果たした。その1年後に宮崎県勢、5年後に沖縄県勢が全国大会初出場を果たしたが、宮崎県勢は計11回、沖縄県勢は計18回(うち6回は米軍統治時代)の地方大会不参加があるため、第1回大会から地方大会不参加が1回もない滋賀県勢は、全国大会初出場に要した地方大会参加回数が47都道府県中最多の34回となっている。
京津大会と称していたものの、大津商初参加の1926年(第12回)まで大津市に所在する学校が参加しておらず、滋賀師範と膳所の所在地は1933年の大津市編入以前は膳所町、比叡山の所在地は1951年の大津市編入以前は坂本村だった。
滋賀県勢初の優勝校が八日市(八日市町)となった3年後の1956年(第38回)から大会名が京滋大会に変更された。その後も1958年(第40回)は甲賀(水口町)、1963年(第45回)は長浜北(長浜市)、1967年(第49回)は守山(守山町)、1968年(第50回)は伊香(木之本町)と続き、大津市に所在する学校は全国大会に出場できずにいた。京滋大会最末期の1971年(第53回)は比叡山(大津市)、1972年(第54回)は膳所(大津市)と、2大会連続で大津市に所在する学校が優勝したが、上述の経緯がある。
消滅後
1973年(第56回)から、記念大会に限り行われていた京都大会が毎年行われるようになったが、滋賀県は次の記念大会までの4年間、福井県と福滋大会を編成することとなった。