全洞院
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位置
北緯35度56分22.1秒 東経139度15分21.4秒 / 北緯35.939472度 東経139.255944度座標: 北緯35度56分22.1秒 東経139度15分21.4秒 / 北緯35.939472度 東経139.255944度
山号
岩松山[1]
院号
全洞院
| 全洞院 | |
|---|---|
| 所在地 | 埼玉県入間郡越生町黒山734 |
| 位置 | 北緯35度56分22.1秒 東経139度15分21.4秒 / 北緯35.939472度 東経139.255944度座標: 北緯35度56分22.1秒 東経139度15分21.4秒 / 北緯35.939472度 東経139.255944度 |
| 山号 | 岩松山[1] |
| 院号 | 全洞院 |
| 宗派 | 曹洞宗[1] |
| 創建年 | 室町時代[注釈 1] |
| 開山 | 喜州善欣[1] |
| 法人番号 | 7030005010943 |
当院の墓地には、渋沢平九郎の墓がある。平九郎は武蔵国榛沢郡下手計村(現・埼玉県深谷市下手計)の名主尾高勝五郎の子で、尾高惇忠の弟である。後に渋沢栄一の義理の弟となり、栄一の見立養子となっている。平九郎は旧幕府方の振武軍に入隊し飯能戦争を戦ったが敗北、顔振峠に落ち延びた。峠の茶屋で「落武者姿は危ない」といわれ、百姓姿に変装したが、黒山村(現・越生町黒山)で官軍に発見され、壮絶な最期を遂げた。黒山村の村人は、この無名の勇者[注釈 2]を当院に葬り、敬意を込めて「ダッソ様(脱走様)」と呼んだ[2]。
後に兄の惇忠によって、そのダッソ様が平九郎であることを確認、義兄兼養父の栄一によって谷中霊園に改葬された。当院には「澁澤平九郎之墓」の墓石が建てられている。
- 澁澤平九郎之墓
- 平九郎の墓に詣でた栄一一行(1912年)