八坂入彦命の名称に含まれる「入彦(いりひこ)」は、崇神天皇(御間城入彦)や垂仁天皇(活目入彦)と同様、この時期の皇族に多く見られる名前の形式である。
伝承によれば、八坂入彦命は親子三代にわたって尾張・三河地方の開拓に従事した豪族としての側面を持つとされる。岐阜県可児市には、八坂入彦命がこの地を治めたという伝承が残り、宮内庁によって「八坂入彦命墓[3]」として管理されている大萱古墳(おおがやこふん)が存在する。この地は景行天皇が滞在したとされる「泳宮(くくりのみや)」の伝承地にも近く、美濃地方とヤマト王権の深い関わりを示唆している。