八坂入彦命

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八坂入彦命(やさかのいりひこのみこと)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族

続柄 第10代崇神天皇の皇子
敬称 皇子
出生 不明
死去 不明
八坂入彦命
続柄 第10代崇神天皇の皇子

敬称 皇子
出生 不明
死去 不明
埋葬 八坂入彦命墓
子女 八坂入媛命景行天皇の皇后)
父親 父:崇神天皇
母親 母:尾張大海媛
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日本書紀[1]』および『古事記[2]』によれば、第10代崇神天皇と、妃の尾張大海媛(おわりのおおあまひめ、意富阿麻比売)との間に生まれた皇子である。

同母兄弟には、大入杵命渟名城入媛命十市瓊入媛命がいる。八坂入彦命自身に関する具体的な事績の記述は記紀には乏しいが、その娘である八坂入媛命が第12代景行天皇の妃となり、第13代成務天皇五百城入彦皇子などを儲けたことで、後世の皇統に血脈を繋げた。

系譜

考証

八坂入彦命の名称に含まれる「入彦(いりひこ)」は、崇神天皇(御間城入彦)や垂仁天皇(活目入彦)と同様、この時期の皇族に多く見られる名前の形式である。

伝承によれば、八坂入彦命は親子三代にわたって尾張三河地方の開拓に従事した豪族としての側面を持つとされる。岐阜県可児市には、八坂入彦命がこの地を治めたという伝承が残り、宮内庁によって「八坂入彦命墓[3]」として管理されている大萱古墳(おおがやこふん)が存在する。この地は景行天皇が滞在したとされる「泳宮(くくりのみや)」の伝承地にも近く、美濃地方ヤマト王権の深い関わりを示唆している。

脚注

参考文献

関連項目

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