八幡平市立寺田小学校
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| 八幡平市立寺田小学校 | |
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北緯39度58分47.4秒 東経141度6分29.93秒 / 北緯39.979833度 東経141.1083139度座標: 北緯39度58分47.4秒 東経141度6分29.93秒 / 北緯39.979833度 東経141.1083139度 | |
| 過去の名称 | 寺田学校、寺田小学校、寺田尋常小学校、寺田尋常高等小学校、寺田国民学校、西根町立寺田小学校 |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 八幡平市 |
| 併合学校 | 荒木田尋常小学校 |
| 設立年月日 | 1876年(明治9年)4月29日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 分校 | 荒木田分校、若谷地分校(いずれも1986年閉校) |
| 学期 | 3学期制 |
| 所在地 |
〒028-7401 岩手県八幡平市西根寺田第15地割30番地 |
| 外部リンク | 公式サイト |
歴史
1876年(明治9年)4月29日、寺田学校として寺田村第14地割65番地にて創立する[4]。1881年(明治14年)4月に近隣家屋の火災により校舎が類焼したことで1882年(明治15年)12月に校舎が再建されるまでの間は聖福寺で授業を行った[4]。1884年(明治17年)に寺田小学校、1887年(明治20年)に寺田尋常小学校と改称した[4]。尋常小学校への改称と同時に荒木田村の荒木田小学校を統合したが、1890年(明治23年)5月には分校を設置し、1893年(明治26年)には分校が荒木田尋常小学校に昇格した[4]。1908年(明治41年)に小学校令が改正されると荒木田尋常小学校の5年生と6年生は寺田尋常小学校に通学することとなり、1911年(明治44年)に荒木田尋常小学校は廃止され寺田尋常小学校荒木田分校となる[4]。
1918年(大正7年)4月に高等科を併置し、寺田尋常高等小学校に改称する[4]。
1938年(昭和13年)2月26日に火災が発生し二階建て校舎一棟が焼失したため、再建までの間は焼け残った校舎や寺田作業所を臨時使用して二部授業を行った[4]。1941年(昭和16年)に国民学校令の公布に伴い寺田国民学校に改称、再建していた新校舎は9月に完成した[4]。1945年(昭和20年)6月には東京の国民学校からの集団疎開を受け入れる[5]。なお、受け入れ学校について西根町史では「東京都杉並区東調布第一国民学校4年生」としている[5]が杉並区に同名の学校がないことから大田区立東調布第一小学校の誤りであると思われる。
終戦後の学制改革によって1947年(昭和22年)に寺田小学校と改称し新制中学校を併置した[4]。併置されていた中学校舎は1963年(昭和38年)に小学校に移管されている[4]。
1952年(昭和27年)5月に寺田村大字帷子第16地割字若谷地57番37に若谷地分校を設置する[4]。この若谷地分校と前述の荒木田分校は1986年(昭和61年)3月31日に本校に統合され廃校となった[4]。
通学区域
寺田新田、野口、寺田、帷子、土沢、川原目、上関、荒木田、舘沢、若谷地の行政区が対象である[7]。
