八綱田 From Wikipedia, the free encyclopedia 歌川国芳『日本百将伝』より八綱田の想像図 八綱田(やつなた[1])は、『日本書紀』等に伝わる古代日本の皇族(王族)。 豊城入彦命(崇神天皇皇子)の子で、上毛野君の遠祖。『日本書紀』では「八綱田」「倭日向武日向彦八綱田(やまとひむかたけひむかひこやつなた)」、他文献では「八綱多命」等とも表記される。 『日本書紀』には「上毛野君遠祖」とあるのみで系譜の記載はないが、『新撰姓氏録』によると豊城入彦命(崇神天皇皇子)の子であるという。 『日本書紀』垂仁天皇5年10月条によると、八綱田は狭穂彦王の反乱の際に将軍に任じられ、狭穂彦王の築いた稲城の攻撃を命じられた。八綱田は稲城に火をかけて焼き払い、狭穂彦王を自殺に追い込んだ。この功により「倭日向武日向彦八綱田」の号が授けられたという。 後裔氏族 『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。 皇別 和泉国 登美首 - 豊城入彦命男の倭日向建日向八綱田命の後。 和泉国 軽部 - 倭日向建日向八綱田命の後。雄略天皇御世、加里の郷を献上し軽部君の姓を賜った。 未定雑姓 摂津国 我孫 - 豊城入彦命男の八綱多命の後。 和泉国 我孫公 - 豊城入彦命男の倭日向建日向八綱田命の後。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 八綱田(古代氏族) & 2010年. 参考文献 「八綱田」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 978-4642014588。 関連項目 上毛野氏 Related Articles