江戸幕府から戦況を偵察するように命を受けた津軽藩が、牧只右衛門らをオショロに送り込んだとき、オショロ湾にはアイヌ側の船が100艘ほど集まっており、武装したアイヌが600 - 700人ほどひしめいていた。八郎右衛門はこの集団のリーダー格を務めた9人のうちのひとりで、ヨイチからは彼のほかに大将ケクラケ、ウヘレチ、サノカへインが来ていた。なお、その他の首長は、ルイシンの大将ムネワカインとモンヤカイン、テシオの大将トミウヘワイン、ソウヤの大将シルヘタインとカカモレイである[1]。
彼らの訴えるところは、「当初はシャクシャインから求められた蜂起への参加を拒否していたが、このままの状態では餓死するしかないので、和人を殺した。以前のように松前に交易に行けるようにしてほしいし、津軽とも交易したい」というものだった[1]。
八郎右衛門ら9人が身にまとっていたのは「北高麗織色々唐草織付」の衣類で、その見事なことは言葉にならない、と津軽藩の記録にある。この衣類とは、蝦夷錦のことと思われる[1]。