公孫表の次男として生まれた。若くして文学の才能で名を知られ、明元帝のときに中書郎となった。征戦に従軍して、諸軍司馬に任じられた。
太武帝のとき、大鴻臚を兼任して、氐王楊玄を南秦王に封じる使者として立った。氐王の領内に入り、楊玄が迎えに来なかったことをとがめた。帰還すると、尚書に任じられ、燕郡公の爵位を受け、平南将軍の位を加えられた。
南朝宋の将の到彦之が部将の姚聳夫を済河に派遣して、冶坂を攻撃した。太武帝は宋軍のさらなる北進を阻止するため、公孫軌を壷関に駐屯させた。上党郡の丁零が反乱を起こしたため、公孫軌が反乱の鎮圧にあたった。後に虎牢鎮将として出向した。
441年、死去した。享年は51。