公教会祈祷文
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年譜
1868年の明治維新後、フランス人を中心に多くの外国人宣教師が日本に入国するものの、依然として厳しい弾圧が続いていた。日本代牧区司教に命ぜられたプティジャン師は、フランス公使ロッシュと協力して禁教令解除の運動をしつつ(のちに解除)、かくれキリシタンの教会復帰(帰正)のために各種書籍の出版を行った。この成果がいわゆる「プティジャン版」である。プティジャン版は、キリシタン版の復刻やリシタン伝統語を重んじた教書類を秘密に出版するもので、この事業の一環として『公教会祈禱文』の編纂も開始された[1]。
『公教会祈禱文』の母体となったのは、隠れキリシタンのオラショである。1879年初版は、特にキリシタンの文体が色濃く残っている。その後、文体の洗練が図られ、1896年の東京大司教区版以降のものは標準的な漢文訓読体である。
1895(明治28年)年、オズーフ東京大司教により東京で教会会議が開催され、日本国内におけるカトリックの祈祷文・教理書の統一が図られることになった。そこで祈祷文および教理書の全国的基準として東京大司教区用に、『公教会祈祷文』及び『公教要理』が制定された。
その後、一部文体の微細な改訂が行われた。国家・皇室のための祈祷として、国家神道の色彩が濃い二種類(太平洋戦争前後で異なる)の「皇国の為の祈」が記載されていたが、戦後に削除された[2]。また、後に「ユスト高山右近の列福を求める祈」(口語体)が追加された。
