Wikiwand AI

内外ビルディング

From Wikipedia, the free encyclopedia

内外ビルディング(ないがいビルディング)は、かつて日本の東京都千代田区丸の内にあった建築物である。

用途 事務所
設計者 中栄橘建築事務所
施工 日本土木
建築主 内外ビルヂング
概要 内外ビルディング, 情報 ...
内外ビルディング
関東大震災により崩壊した内外ビルディング
情報
用途 事務所
設計者 中栄橘建築事務所
施工 日本土木
建築主 内外ビルヂング
構造形式 鉄筋コンクリート構造
建築面積 2,040 m² (617坪)
階数 地下1階、地上8階
高さ 約31メートル(100尺)
着工 1921年(大正10年)1月
竣工 未完(関東大震災で倒壊)
所在地 東京府東京市麹町区八重洲町一丁目1番地
テンプレートを表示
閉じる
旧名称 昭和ビルディング
用途 事務所
設計者 大倉土木
構造設計者 阿部美樹志
概要 内外ビルディング, 情報 ...
内外ビルディング
情報
旧名称 昭和ビルディング
用途 事務所
設計者 大倉土木
構造設計者 阿部美樹志
施工 大倉土木
建築主 内外ビルヂング
事業主体 内外不動産
構造形式 鉄筋コンクリート構造
敷地面積 2,314 m² (700.0坪)
建築面積 1,819 m² (550.100坪)
延床面積 11,659.2 m² (3,526.920坪)
階数 地下1階、地上6階、塔屋付
高さ 地盤面上パラペット上端まで72尺5寸 (22.5 m)、屋上階最高部まで80尺 (24.8 m)
着工 1926年(大正15年)2月21日
竣工 1927年(昭和2年)7月31日
改築 1979年(昭和54年)1月解体
テンプレートを表示
閉じる

沿革

東京市麹町区八重洲町一丁目1番に土地を保有していた大日本製糖が、自社の社屋に加え商業ビルの経営を企図して1922年(大正11年)に内外ビルヂング会社を設立[1]。直ぐ様建設に着手したものの、完成が目前に迫った1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が発生し建築中の建物は全壊[1]、多数の作業員が犠牲となった。

震災での崩壊を受けて設計をやり直し、1925年(大正14年)11月24日に地鎮祭を挙行し1926年(大正15年)2月21日から再度工事を着工。1927年(昭和2年)7月31日に竣工し、同年8月に大日本精糖が本社機能をここに移した[2]。なお竣工当初、ビル名を昭和ビルディングとしたものの、後に内外ビルディングに名称を戻している[1]。

終戦直後の1946年(昭和21年)3月に内外ビルディングは連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) に接収され、1952年(昭和27年)12月の接収解除まで将校宿舎「エンパイヤーハウス」として使用された[3]。接収解除直前の1952年10月に内外ビルヂングは三井不動産会社傘下となったため、解除後は三井不動産によってオフィスビルとなった[1]。1954年(昭和29年)から1966年(昭和41年)までは富士重工業 (現: SUBARU) の本社も所在していた。1956年(昭和31年)12月には増築に着手し1958年(昭和33年)1月14日に完成、1962年(昭和37年)4月に再増築を行った[4]。だが度重なる増築にもかかわらず建物自体の陳腐化・老朽化は避けられず、1979年(昭和54年)1月に解体。現在跡地には丸の内三井ビルが建っている[5]。また三井不動産傘下となった内外ビルヂングは1969年(昭和44年)3月27日に第一産業会社と合併して、商号を内外不動産と改め現在に至る[6]。

出典

参考文献

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks