文政4年(1821年)、出雲国松江に生まれた。貫名海屋と篠崎小竹に学び、安政4年(1857年)には大坂で塾を開いた。[1][2] 元治元年(1864年)に帰郷して松江藩の儒員となり、藩政に参与した。藩主松平定安の侍講も務めた。[1][2]
明治維新後は師範学校などで教えた。[1] また、松江の西茶町に私塾「相長舎」を開き、地域の子弟を教育した。相長舎の門人は3,000人ともいわれ、梅謙次郎、若槻禮次郎、岸清一、二葉亭四迷(長谷川辰之助)らが学んだとされる。[4] 二葉亭四迷との関係については、島根大学の紀要に専論がある。[5]
明治34年(1901年)5月22日に死去した。[1]