内藤元泰 (中務丞) From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 不詳死没 不詳別名 次郎太郎(通称) 凡例内藤元泰時代 戦国時代生誕 不詳死没 不詳別名 次郎太郎(通称)官位 中務丞主君 毛利興元→幸松丸→元就氏族 藤姓内藤氏父母 父:内藤泰廉子 元康テンプレートを表示 内藤 元泰(ないとう もとやす)は、戦国時代の武将。安芸国の国人・毛利氏の家臣。 安芸国高田郡長田郷を本拠とする国人・安芸内藤氏の当主である内藤泰廉の子として生まれる。明応6年(1497年)4月22日、安芸内藤氏が代々受け継いできた長田郷の地頭職や御下文・御教書を元泰へ譲る旨を記した譲状を父から与えられ、家督を相続した。 永正15年(1518年)8月30日、元泰は毛利元就に従って備後国世羅郡赤屋に出陣。この時の赤屋の領主が誰で、何故元就が赤屋を攻めたかは史料がなく不明であるが、粟屋元親の名代である長八郎左衛門が戦死し、粟屋元秀や保垣刑部左衛門が負傷するなど、激しい合戦となった(赤屋・小国の合戦)。同年9月2日、赤屋から退く途中の世羅郡小国において敵の追撃を受けたが、元泰らが奮戦し敵を撃退した。この功によって、同年10月2日に毛利幸松丸から感状を与えられた。 これ以後の元泰の動向は不明。なお、元泰の曾孫も同じく内藤元泰と名乗っている。 参考文献 『萩藩閥閲録』巻58「内藤次郎左衛門」 三卿伝編纂所編『毛利元就卿伝』(マツノ書店、1984年) Related Articles