天正14年(1586年)、内藤忠政の長男として生まれる。徳川家康に仕えて慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い、慶長19年(1614年)からの大坂の陣で戦功を挙げ、徳川家光の教育係にもなった。所領は常陸国内に1万5000石を与えられていたが、これらの功績を評価されて寛永10年(1633年)に志摩鳥羽2万石に加増移封された。
内藤忠重の墓(鳥羽市西念寺)
藩政においては鳥羽城の大改築や舟の整備などを行なったが、これが原因で深刻な財政難が起こった。承応2年(1653年)4月23日に死去、享年68。跡を長男の忠政(忠種)が継いだ。
内藤氏 鳥羽藩初代藩主 (1633年 - 1653年) |
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| 土井家 | |
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| 大給松平家 | |
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