内藤法美
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1946年(昭和21年)に旧制麻布中学校を卒業。同窓生にフランキー堺、小沢昭一、加藤武、仲谷昇らがいる。その後(旧制)一高に進んだが大学進学をやめて音楽家となり、1951年(昭和26年)、東京キューバン・ボーイズにピアニスト兼編曲家として入団し活躍した。1958年(昭和33年)に、作・編曲家として独立した。
1959年(昭和34年)秋、宝塚歌劇団男役スターとして戦中・戦後に活動しその後「日本のシャンソンの女王」の異名をとった越路吹雪と結婚した。夫妻に子はなかったが越路とは越路の死去まで連れ添い、内藤は越路が亡くなるまでリサイタルやディナーショーの構成、作曲、編曲、指揮なども手掛けた。
越路の死の直前、病床の越路は意識が朦朧とする中で「法美さんにコーヒーを」と、最期まで最愛の夫である内藤を気遣った。