円通寺 (小城市)
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位置
北緯33度18分06.7秒 東経130度11分58.2秒 / 北緯33.301861度 東経130.199500度座標: 北緯33度18分06.7秒 東経130度11分58.2秒 / 北緯33.301861度 東経130.199500度
山号
三間山
三間名山
三間名山
宗派
臨済宗南禅寺派
| 円通寺 | |
|---|---|
|
山門 | |
| 所在地 | 佐賀県小城市小城町松尾3832 |
| 位置 | 北緯33度18分06.7秒 東経130度11分58.2秒 / 北緯33.301861度 東経130.199500度座標: 北緯33度18分06.7秒 東経130度11分58.2秒 / 北緯33.301861度 東経130.199500度 |
| 山号 |
三間山 三間名山 |
| 宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
| 創建年 | 白雉元年(650年) |
| 開基 | 三池氏の嫡子 |
| 正式名 |
三間山圓通禪寺 三間名山圓通興國禪寺 |
| 別称 |
三箇寺 三間寺 |
| 法人番号 | 8300005002144 |
筑後三箇村の郡司であった三池氏の嫡子が氏寺として、白雉元年(650年)に開基・創健と伝わり小城市では最古の寺院である。その後、天台宗の「三箇寺」から平安時代中ごろに「三間寺」と改称される。鎌倉時代になると岩蔵寺の若訥宏弁[1]が移住して、南宋から渡来した禅僧蘭渓道隆に師事したことで、弘安元年(1278年)禅宗の寺へと変容し現在の「円通寺」の根基が定まる。
その後千葉宗胤より、九州千葉氏の菩提寺となりその勢いは増し、鎌倉の建長寺を模した七堂伽藍を構築、貞和6年(1350年)三間名山 円通興国禅寺の称号を受け、鎌倉の建長寺、京都の南禅寺と並んで日本三興国禅寺として数えられる。影響力は佐賀西部一帯に及び、頭塔31か所、平寺47か所が管下にあった[2]。しかし、千葉氏は戦国時代初期に東西に分裂し少弐氏、竜造寺氏、鍋島氏などに仕え勢力を衰微させてしまったため、寺の規模も縮小した。
明治期の廃仏毀釈のあおりを受けた事もあり当地一円に誇った菩提寺としての勢力も衰退を余儀なくされる。現在の小城町下町に大門堂という地名が残るのは山門がその付近に設えられていたことによるものとされており、当時の趣きを示す。
文化財
所在地
- 佐賀県小城市小城町松尾