別部捷夫 From Wikipedia, the free encyclopedia 国籍 日本出身地 徳島県板野郡板東町生年月日 (1940-07-28) 1940年7月28日(84歳)身長体重 172 cm79 kg別部 捷夫基本情報国籍 日本出身地 徳島県板野郡板東町生年月日 (1940-07-28) 1940年7月28日(84歳)身長体重 172 cm79 kg選手情報投球・打席 右投右打ポジション 外野手 捕手プロ入り 1963年初出場 1963年最終出場 1968年経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) 徳島県立鳴門高等学校 明治大学 国鉄スワローズサンケイスワローズサンケイアトムズアトムズ (1963 - 1969) この表について この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 別部 捷夫(わけべ よしお、1940年7月28日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手、捕手。 鳴門高校では1958年夏の甲子園県予選準決勝に進出するが、中学時代の同級生である徳島商の板東英二に0-1で完封を喫し、甲子園出場はならなかった。卒業後は明治大学へ進学。後藤晃吾、八木孝、辻佳紀、一枝修平、松本雄作(国鉄)らと同期であった。東京六大学野球リーグでは1961年春季リーグに優勝している。同年の全日本大学野球選手権大会に出場するが、準決勝で日大に敗れた。 1963年に国鉄スワローズへ入団。 1964年には開幕直後から右翼手のポジションを獲得する。同年は主に二番打者として活躍し、規定打席(25位、打率.245)にも到達するが、その後は段々と出番が減る。 1968年、岡本凱孝の移籍により層の薄くなった捕手陣を補強するとともに、定評のある打撃を活かすため、大学時代に経験のある捕手へと転向。しかし肩が弱く、加藤俊夫の台頭もあってレギュラーには届かなかった。 1969年は1試合も一軍での出場がなく、この年に引退した。 板東里視は中学校、高校の1年後輩にあたる。 詳細情報 年度別打撃成績 年度球団試合打席打数得点安打二塁打三塁打本塁打塁打打点盗塁盗塁死犠打犠飛四球敬遠死球三振併殺打打率出塁率長打率OPS 1963 国鉄サンケイ 5490827215012971000800170.256.322.354.676 1964 116437376489212013143459811246025611.245.330.380.711 1965 1022422191552444762302102101425.237.307.347.654 1966 69151130623301291002111801265.177.282.223.505 1967 7010385521402312000021620126.247.366.365.731 1968 791801561435304501300012122346.224.324.321.645 通算:6年 49012031048952443142535811810121361304618733.233.321.342.663 国鉄(国鉄スワローズ)は、1965年途中にサンケイ(サンケイスワローズ)に球団名を変更 背番号 22 (1963年 - 1967年) 26 (1968年 - 1969年) 関連項目 徳島県出身の人物一覧 明治大学の人物一覧 東京ヤクルトスワローズの選手一覧 Related Articles