前田黙鳳

From Wikipedia, the free encyclopedia

前田 黙鳳(まえだ もくほう、嘉永6年(1853年)3月 - 大正7年(1918年11月19日)は、播州龍野兵庫県たつの市)生まれの書家。名は士方黙鳳で、別号に龍野人がある。

明治から大正時代に活躍した書家で、書道会の発足や会報の発行に尽力し、展覧会の開催や法帖類などの古典資料の普及に努め、近代書道界の発展に大きく貢献した。作品には古銅器の銘文を臨書したものなど篆書体が多くあり、また六朝風の楷書体も得意とした。

経歴

嘉永6年(1853年)播州龍野藩士、前田忠作の次男として生まれる。20歳で上京し、明治9年(1876年)書肆博文社の手代となった。明治15年(1882年)京橋南鍋町に自ら書肆鳳文館を開き、『資治通鑑』・『佩文韻府』などの翻刻刊行を行った。その間、清国に渡り金石学書法を学んだ。しかし、明治21年(1888年)漢学の衰頽に伴い経営が悪化し、鳳文館を廃業した。その後、書学会を発足し、会報『書鑑』を発行して法帖類を掲載し、古典資料の普及に努めた。明治41年(1908年)には中村不折土方秦山杉溪六橋野村素軒らと健筆会を起こし、六朝書専門研究に取り組み、展覧会も開催した。

大正3年(1914年)2月、中村不折・井土霊山共訳の『六朝書道論』が刊行されるが、その巻末付録に「六名家書談」が収録され、黙鳳はその名家の一人として、「書風の側面観」と題した1篇を執筆している。六名家の他の5人は、日下部鳴鶴中林梧竹中根半嶺内藤湖南犬養木堂であり、犬養木堂は黙鳳の書を見て「天下第一人者」と称賛したという。

略年譜
嘉永6年1853年播州龍野(兵庫県)に生まれる。
明治6年1873年20歳上京。
明治9年1876年23歳博文社(書肆)に入社。
明治15年1882年29歳京橋南鍋町に鳳文館(書肆)を設立。
『資治通鑑』・『佩文韻府』・『康熙字典』・『史記評林』などを刊行。
明治21年1888年35歳鳳文館を廃業。
明治25年1892年39歳『真行草大字典』(共益社)を刊行。
明治35年1902年49歳『書鑑』(書学会)を刊行。
明治41年1908年55歳健筆会を発足。
大正2年1913年60歳『真行草字鑑』(二松堂書店)を刊行。
大正7年1918年65歳永眠。

著書・編書

関連項目

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI