劉彦琮

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劉 彦琮(りゅう げんそう、868年 - 931年)は、末から五代十国時代にかけての軍人は比徳。本貫雲州雲中県[1]

李克用に仕え、たびたび征戦に従軍した。絳州刺史の王瓘が叛くと、彦琮は反乱を平定するよう李克用に命じられた。ほどなく彦琮は李克用に従って汾州晋州の近郊に出兵し、偽って絳州に亡命した。彦琮は王瓘に厚遇され、騎将として任用された。王瓘が狩猟に出たときに、彦琮は王瓘を殺害して、その首級を李克用に献じた[1]

天祐5年(908年)、晋王李存勗に従って潞州の包囲を解いた。同光元年(923年)、鉄林軍使・磁州刺史として出向した。天成元年(926年)、華州節度留後となった[1]。天成2年(927年)、正式に華州節度使に任じられた[2]。天成3年(928年)、左武衛上将軍となった[3]

長興元年(930年)3月、保義軍節度使・検校太保となった[4]。10月、静難軍節度使に転じた[5]。長興2年(931年)閏5月26日、邠州で死去した[6]。享年は64。太傅の位を追贈された[1]

脚注

伝記資料

参考文献

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