劉承勲 From Wikipedia, the free encyclopedia 劉 承勲(りゅう しょうくん、生年不詳 - 951年)は、五代後漢の高祖劉知遠の末子[1]。 天福12年(947年)、後漢が建国されると、承勲は右衛大将軍に任じられた。乾祐元年(948年)、隠帝劉承祐が即位すると、承勲は検校太尉・同平章事を加えられ、興元尹を遥領した。まもなく侯益に代わって開封尹となり、検校太師に位を進め、侍中を兼ねた。乾祐3年(950年)11月、隠帝が殺害されると、大臣や諸将は承勲を擁立しようとしたが、ちょうど承勲は病床に臥せっていたため、起つことができず、劉知遠の養子の劉贇が立てられた。後周の広順元年(951年)春、承勲は死去した。陳王に追封された[2][3]。 脚注 ↑ 旧五代史 1976, p. 1385. ↑ 旧五代史 1976, pp. 1385–1386. ↑ 新五代史 1974, pp. 193–194. 伝記資料 『旧五代史』巻105 漢書7 宗室列伝第2 『新五代史』巻18 漢家人伝第6 参考文献 『旧五代史』中華書局、1976年。ISBN 7-101-00321-4。 『新五代史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00322-2。 Related Articles