劉承勲

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劉 承勲(りゅう しょうくん、生年不詳 - 951年)は、五代後漢の高祖劉知遠の末子[1]

天福12年(947年)、後漢が建国されると、承勲は右衛大将軍に任じられた。乾祐元年(948年)、隠帝劉承祐が即位すると、承勲は検校太尉・同平章事を加えられ、興元尹を遥領した。まもなく侯益に代わって開封尹となり、検校太師に位を進め、侍中を兼ねた。乾祐3年(950年)11月、隠帝が殺害されると、大臣や諸将は承勲を擁立しようとしたが、ちょうど承勲は病床に臥せっていたため、起つことができず、劉知遠の養子の劉贇が立てられた。後周広順元年(951年)春、承勲は死去した。陳王に追封された[2][3]

脚注

伝記資料

参考文献

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