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岡崎市バラバラ殺人事件

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岡崎市バラバラ殺人事件とは、1959年9月2日、愛知県岡崎市で発生した、バラバラ殺人事件及びカニバリズム事件である、また犯人が岡崎市内でも有数の名士であったことから、世間を騒がせた[1]。

事件

概要 加藤信嘉, 生誕 ...
加藤信嘉
生誕 1917年
愛知県西尾市
死没 不明
別名 日本のアルバート・フィッシュ
中京の小平[2]
刑罰 無期懲役
殺人
被害者数 1 - 5人以上
犯行期間
不明–1959年
国 日本
州 愛知県岡崎市
逮捕日
1959年9月25日
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事件の発覚・犯人の逮捕

1959年9月25日、岡崎市を流れる小川から、若い女性のバラバラ遺体が発見された[1]。遺体は両手、両足、胴体、頭の6つに解体され、胴体からは陰部と左乳房がえぐり取られていた[3]、頭を包んであったワンピースから被害者はK・A(17歳)と特定、その関係者を追ったところ加藤信嘉(42歳)が逮捕された[3][4]、警察は加藤に対して4日前から疑問を抱いていたが、商店街の副会長や冷菓協同組合の理事を務めていたほどの名士であったため慎重に裏付け捜査を行っていた[3][5]。

加藤の自供

加藤の自供によると、9月2日に自分の倉庫でKと関係した、寸前まで承知している素振りであったが突然「いや!ばかにしないでよ[6]」と言って突き飛ばしたため、これに怒りを覚えた加藤は、無理やり服をはぎ取って裸にし股をこじ開けて強姦し、気の強い女だから、警察に訴えられたら身の破滅だと考え絞殺した[3][6]、翌日、加藤は死体を美しいと感じ、捨てる気になれず、死体をドライアイス詰めにして保管し、連日倉庫に通いつめては密かに愛撫した[3][6]、このことについて加藤は「あの気性の激しかった娘も、いまはもうこっちのなすがままに喜んで受け入れてくれるように思えた」と話した[3][6]。加藤は5日間にわたり死体を愛好したが、いつまでも続けられるわけがないと考え7日の夜、首と手足を切ってポリ袋3袋に詰め、9日の夜橋から川に遺棄した[3][6]、左乳房と陰部は焼いて嗜食した[7][6]。

加藤の生い立ち

加藤は愛知県西尾市の味噌醤油醸造業の家庭に生まれた[8]。叱られても常に笑顔を絶やさなかったことから「フクちゃん」と呼ばれて育った[7][8]また加藤は他人に優しいことでも評判であった[7]。加藤が最初に結婚したのは20歳の頃であり、Mという女性であった[9]、Mと結婚する前に、加藤は社長令嬢と婚約していたため父は猛反対したが、加藤は「Mをもらってくれないのなら死ぬ」と喚き散らし、無理やり結婚を承諾させた[8]Mと結婚した加藤はその後、Mと共に父が務める富山県立山市の松本温泉へと新婚旅行へ行くがMは新婚旅行3日目で温泉で眠り込んで溺死した[9]、このことをきっかけに加藤は死体愛好に目覚めた[9]、その後加藤は数回結婚した、結婚した数人とその他含め3人は行方不明となっており、Mと同じく美しさがあった、加藤の性癖ために犠牲となったのではないかと疑惑が上がった[9]、また加藤はサディストでもあり、妻を荒縄で縛って天井に吊るして楽しんだこともあった、加藤の性癖に耐えれず、妻が逃げ出しても、加藤は決して後を追うことはなかったという[9]。加藤には無期懲役の判決が言い渡された[10]。

関連項目

脚注

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