労働者党 (ブラジル)
ブラジルの政党
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
結成の前史
1964年のクーデターではじまったブラジル軍事政権は、ブラジル共産党(PCB)と労働組合の活動家を逮捕・殺害するとともに、与野党の政治家を人工的に作った二党に所属させた。いったんは壊滅状態になった労働運動は、軍政下の工業成長を背景にして、1970年代末に復活の兆しをみせた。この新組合主義は、はじめのうち既存の政党と結びつかない非政治的な運動と自らを位置づけ、要求を賃金問題に集中していた。その先頭に立ったのがルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ(ルーラ)を指導者にしたサンパウロ州のサンベルナルド金属労働者組合で、1978年の自動車産業ストライキの成功から、翌年の全国全産業規模のストライキの波を引き起こし、ブラジル労働運動の復活を成し遂げた[7]。
運動の盛り上がりの中で、1978年から政治活動について内部で議論がはじまり、1979年1月にサンパウロ州金属労働者大会で労働者の政党を結成することについて決議がなされた[8]。6月には金属労働者全国大会があり、そこでも似た決議が採択された[9]。この時点で、法律上は新党の結成は認められていなかったが、既に民主化が進んでおり、二党制のタガが外れる時は迫っていると感じられていた。
とはいえ、決議はその政党がいつどのようなものとして結成されるかを決めるものではなく、官製野党であるブラジル民主運動(MDB)との関係をめぐっても、労働組合の内外で大きな議論が巻き起こった。ブラジル民主運動(MDB)の政治家とは、1979年6月に、アルミノ・アフォンソ(Almino Afonso)、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ上院議員(後の大統領)と会合したが、合意に至らなかった[10]。アフォンソらはブラジル民主運動(MDB)を基盤にした政治家中心の党を望んだが、ルーラらは軍政下エリートに主導されない草の根型の組織を求めていた[10]。
まだ非合法のブラジル共産党(PCB)は、対決姿勢が民政移管を危うくするのではないかと考え、労働者党ではなくブラジル民主運動(MDB)と連携してまず共産党を合法化しようと考えていた[11]。
党の結成と初期の活動

1980年2月、様々な労働運動家や知識人が結集して労働者党が結成された。政治的には社会民主主義やマルクス主義、トロツキスト、キリスト教社会主義など、中道左派から極左までの幅広い政治勢力を結集している。また労働運動以外にも、環境保護や人権など多彩な分野の社会運動活動家の参加もみられた。同じ年にブラジル民主運動(MDB)はブラジル民主運動党(PMDB)に衣替えしたが、ごく一部の議員が労働者党に移った[12]。選挙に出るための政党登録には高いハードルがあったが、元議員たちは事務所開設など労働者党の組織立ち上げで重要な役割を果たした[12]。
労働者党の正式な政党登録は、1982年に実現した[13]。規約では「民主的社会主義を建設することを目標としている」とした上で、「搾取、支配、抑圧、不平等、不正義、貧困を一掃するために闘う」と明記している。
PTの政党登録がなされたのと同じ年の11月に行われた国会議員選挙では党首のルーラは落選、下院で8議席を得るに留まった(得票率3.5%)。1988年の憲法改正により大統領直接選挙制が復活後、初めて行われた89年12月の大統領選挙では、ルーラが立候補したが決選投票でフェルナンド・コロール・デ・メロに敗れた(決選投票の得票率38%)。その後、1994年の議会選挙では前回(1990年)より得票と議席を大幅に増やしたが、同時に行われた大統領選挙ではフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(ブラジル社会民主党、略称:PSDB)に大差で敗れた。
政権獲得以後
1998年の大統領選挙でもルーラはカルドーゾ大統領に再び敗れたが、2002年10月の大統領選挙で6割余の得票を得て初の勝利を収めた。また同時に行われた国会議員選挙でも91議席を獲得し最大政党となった。そして、2006年10月の大統領選挙でもルーラが再選を果たし、PTは与党の座を維持した。この間、ルーラは貧困層向け家族手当「ボルサ・ファミリア」(Pragrama Bolsa Familia:PBF)[14][15]の創設を柱とした社会政策を実施する一方、現実的な経済政策を採用し、ブラジル経済の成長を維持した。
2010年10月の大統領選挙では、ルーラ大統領の後継候補としてジルマ・ルセフ官房長官を擁立。決選投票でPSDBのジョゼ・セラ(サンパウロ州前知事)を抑えて勝利し、引き続き政権与党の座を維持[16]。2014年10月の大統領選挙でもルセフ大統領が対立候補であるアネシア・ネベス(PSDB)を僅差で抑えて再選を果たし、ルーラ政権も含めると4期続けて政権与党の座を占めることになった[17]。しかしルセフは弾劾訴追され2016年8月に失職、副大統領でブラジル民主運動党のミシェル・テメルが大統領となった。
選挙結果
大統領選挙
| 年 | 候補者 | 第1回投票 | 決選投票 | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 得票数 | 得票率(%) | 得票数 | 得票率(%) | ||
| 1989 | ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ | 11,622,673 | 16.1 (第2位) | 31,076,364 | 47.0 (第2位) |
| 1994 | ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ | 17,122,127 | 27.0 (第2位) | ||
| 1998 | ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ | 21,475,211 | 31.7 (第2位) | ||
| 2002 | ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ | 39,455,233 | 46.4 (第1位) | 52,793,364 | 61.3 (第1位) |
| 2006 | ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ | 46,662,365 | 48.6 (第1位) | 58,295,042 | 60.8 (第1位) |
| 2010 | ジルマ・ルセフ | 47,651,434 | 46.9 (第1位) | 55,752,529 | 56.1 (第1位) |
| 2014 | ジルマ・ルセフ | 43,267,668 | 41.6 (第1位) | 54,501,118 | 51.6 (第1位) |
| 2018 | フェルナンド・アダジ | 31,341,997 | 29.3 (第2位) | 47,040,380 | 44.8 (第2位) |
| 2022 | ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ | 57,259,405 | 48.4 (第1位) | 60,325,504 | 50.9 (第1位) |
| 出典: Election Resources: Federal Elections in Brazil – Results Lookup | |||||
連邦議会選挙
| 年 | 連邦下院 | 連邦上院 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 得票率(%) | 得票数 | 議席数 | +/– | 得票率(%) | 得票数 | 議席数 | +/– | |
| 1982 | 3.5% | 1,458,719 | 8 / 479 |
3.6% | 1,538,786 | 0 / 25 |
||
| 1986 | 6.9% | 3,253,999 | 16 / 487 |
– | – | 0 / 49 |
||
| 1990 | 10.2% | 4,128,052 | 35 / 502 |
– | – | 1 / 31 |
||
| 1994 | 13.1% | 5,959,854 | 49 / 513 |
13.8% | 13,198,319 | 4 / 54 |
||
| 1998 | 13.2% | 8,786,528 | 58 / 513 |
18.4% | 11,392,662 | 7 / 81 |
||
| 2002 | 18.4% | 16,094,080 | 91 / 513 |
21.3% | 32,739,665 | 14 / 81 |
||
| 2006 | 15.0% | 13,989,859 | 83 / 513 |
19.2% | 16,222,159 | 10 / 81 |
||
| 2010 | 16.9% | 16,289,199 | 88 / 513 |
23.1% | 39,410,141 | 15 / 81 |
||
| 2014 | 14.0% | 13,554,166 | 68 / 513 |
17.0% | 15,155,818 | 12 / 81 |
||
| 2018 | 10.3% | 10,126,611 | 56 / 513 |
14.5% | 24,785,670 | 6 / 81 |
||
| 2022 | 13.9% | 15,354,125[18] | 69 / 513 |
12.2% | 12,456,553 | 9 / 81 |
||
| 出典: Georgetown University, Election Resources, Rio de Janeiro State University | ||||||||