静岡県出身[1]。県立沼津中学校を経て、1916年(大正5年)明治大学商科卒業[1]。
歩兵第18連隊へ一年志願兵として入隊し、陸軍三等主計に進んだ[1]。千本浜で定置網漁を営む傍ら、1939年(昭和14年)9月に沼津市会議員に当選[1]。1943年(昭和18年)9月には同議長に推挙された[1]。ほか、駿東地方事務所参与、沼津漁業会長、静岡県水産業会副会長を歴任した[1]。
1945年(昭和20年)11月、沼津市の最後の官選市長に就任。戦後の混乱期にあって復興部を設け庶務・土木・都市計画・建設・水道の5課を置き戦災復興を進めた。うち水道課は水道事業の事業認可申請に取り掛かったが、戦後の諸材料の入手困難のため工事は順延し、1950年(昭和25年)7月に初めて通水した。ほか、沼津市立沼津第一中学校を開校させ校長事務取扱を務めた[4]。1946年(昭和21年)11月、退任した。その後は、沼津魚市場、沼津通運各社長を歴任した[5]。