勝山城 (甲斐国八代郡)
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油川氏の時代
江戸時代後期に成立した『甲斐国志』によれば、戦国時代には山梨郡油川(山梨県甲府市・笛吹市石和町)に拠った武田氏支流の油川氏が拠点とした[1]。城主であった油川信恵(彦八郎)は甲斐国守護・武田信昌の子で、戦国期には信昌の子である武田信縄の信恵の間で抗争が発生した[1]。信縄の没後も信縄の子・信虎(初名は「信直」)と信恵の間で抗争が持続し、『勝山記』、『一蓮寺過去帳』によれば、永正5年(1508年)には坊ヶ峰(笛吹市境川町坊ヶ峰)において信恵方は大敗し、油川信恵も戦死する[1]。(勝山合戦)
『高白斎記』によれば、永正12年(1515年)に甲府盆地西部の国人・大井信達に駿河国の今川氏親が加担し、『宇津日記』によれば翌永正13年には今川勢が中道往還から甲斐へ出兵し、今川勢は勝山城や郡内の吉田山城(山梨県富士吉田市)を拠点として大井氏を支援した[1]。『甲斐国志』によれば、永正14年3月に武田・今川間で和睦が結ばれ、今川勢は撤兵したという[1]。『高白斎記』によれば、大永元年(1521年)には今川方の福島正成が駿州往還(河内路)を甲斐へ侵攻した福島乱入事件が起こる。甲府へ侵攻した福島勢は10月16日に甲府市飯田町一帯で起こった飯田河原の戦いで敗退すると勝山城に撤退し、11月23日には再び甲府へ侵攻すると甲斐市島上条一帯で起こった上条河原の戦いで敗退し、甲斐を退いた。今川氏親死後も跡を継いだ今川氏輝の軍勢が侵入し、これらと武田氏が戦っている。
