勝川春英翁略伝の碑
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碑文
- 以下碑文の内容は『墨田区文化財調査報告書Ⅴ』に拠る。ただし碑表面は読みやすさを考え、原文にはない空白を適宜文章に設けた。
- 碑表面本文の 」 の記号は原文の改行を示す。
- 漢字の字体は現行のものに改めた。
碑表面
[勝川春英翁略伝]久徳斎勝川春英翁は大江戸いつみ町の人なり 世に聞へたる絵師なることは人の知るところなれは」いはす 父は磯田次郎兵衛といひ母は某氏とか はやう勝川春章か弟子と成て それか氏を継ぬ 子二人」あり 女子はさきたちてうせぬ 男子斧二今世にあり 翁明和五年戊子にうまれて 文政二年己卯十月二十六日」 とし五十八にてみまかりぬ 浅草本願寺なる善照寺に墓あり 翁本性すなほにして錺ることをいみきらひて いつこへゆ」くにもけの服のまゝに出ぬ かくてはみくるし かさねてはうるはしき衣きて来給へと ありひかいふをきゝて 後の日又」かしこに至りぬ 出あへるものら うちたふれて笑ふことかきりなし 翁さるかくの女の装束を ことにきらきらしきを」うちきて まめたちてをりて みつからは をかしけともおもはぬけにありける ある時 日ころをすくして家にかへりきて」 とのかたに立ゐて いかに春英のやとりはこれかと たかやかにいふを 妻おとろきて戸をひきあけていれつ なにとていま」のほと きはきはしくはのたまへるといへは 日をへて帰りきたれは もし此家あたし人の物にやなりぬらん さら」は案内せてはあしからんと思ひて さはいひたるなりけりといらへき すへて翁のしはさ顧長康の風あり」と みな人はいひにけり おほかた江戸絵ととなへて木にゑりてすりたるもの 翁の右にいつるものなしと」そ北尾なにかしはいひたる 翁なくなりてことし七とせになりぬとて まなひをうけたる人々かたらひあは」せて かくさまの石をたてゝ おのれをして聊なるつるへことをしるさせつ あはれかゝる人のむそちにもたらて」 をはりをとりぬる かへすかへすをしみても をしむへきことなりかし
文政八年乙酉十月 石川雅望於六樹園書
