勝田孫弥 From Wikipedia, the free encyclopedia 勝田 孫弥(かつだ まごや、1867年9月22日〈慶応3年8月25日〉[1] - 1941年〈昭和16年〉8月21日[2])は、鹿児島県出身の教育家・歴史家である。元士族。 薩摩国給黎郡喜入(現在は鹿児島市に編入)出身[1]。 1885年、鹿児島県師範学校中等師範学科卒業。同年、喜入小学校(現在の鹿児島市立喜入小学校)に四等訓導として就任した。1887年3月、喜入高等小学訓導に任命されたが、4月に依願免職。1887年9月 - 1890年6月、私立明治法律学校(現・明治大学)で法律科・行政科・仏語科を修業。 この頃から明治維新史の研究を行い、三上参次が校閲した伝記「西郷隆盛伝」(全5冊、1895年)や「大久保利通伝」(全3冊、1911年、 同文館)、「甲東逸話」(冨山房、1928年)などを著した。 1894年の大日本海外教育会創立の際に幹事として参画[注釈 1]。 キリスト教徒の加藤俊子が1889年に創立し、内村鑑三が2代目校長を1年ほど務めていた女子独立学校が経営困難となったため、それを引き受け、1902年に精華女学校(精華学園)を開校した[3]。 1911年、維新史料編纂官に任ぜられ[1]、1929年10月1日、従四位に叙せられた[4]。墓所は多磨霊園。 家族 親族 妻の勝田けいは精華女子高等学校(精華女学校から改称、千葉県市原市)の校長を務めた[5]。娘に鈴木哲子がいる。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 押川方義の項目を参照。 出典 1 2 3 馬場弘臣「忘れられた歴史家 勝田孫弥」『東海大学学園史ニュース』第13号、学校法人東海大学学園史資料センター、2019年3月15日、12-13頁。 馬場弘臣 (2019年3月25日). “忘れられた歴史家 勝田孫弥”. 大学教授のつぶやき by 情報史料学研究所. 歴史コラム. 2024年5月16日閲覧。 ↑ 「官廳事項」『官報』第4393号、大蔵省印刷局、1941年8月28日、847頁、NDLJP:2960891/8。 ↑ 鈴木哲子 歴史が眠る多磨霊園 ↑ 「敍任及辭令」『官報』第875号、大蔵省印刷局、1929年11月28日、723頁、NDLJP:2957342/9。 ↑ 128年目の新たな一歩東海大学園史ニュース11号、2016.12. 25 典拠管理データベース 全般ISNIVIAFWorldCat国立図書館アメリカ日本その他IdRefYale LUX この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。表示編集 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。表示編集 Related Articles