北京一・京二
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- 北 京一(きた きょういち)
- 大阪生まれ。ゼンジー北京の弟子で、2代目ゼンジー・一億の名で北京のアシスタントを務める。1973年に北京一・京二を解散した後、1974年にはパントマイム修行のため渡米する[1]。1975年にはバンド「ソー・バッド・レビュー (Sooo Baad Revue)」に参加しボーカルを務める[2]。その後、渡仏して近代マイムの父と呼ばれるエティエンヌ・ドゥクルー に師事。ドイツではダンススクールを開校[3]。帰国後もパントマイム、舞台演出で活躍。2004年からは、バンド「金子マリ Presents 5th Element Will」にボーカルとパントマイムで参加[1][4]。
- 北 京二(きた きょうじ)
- 京都生まれ。高校在学中に和光プロダクション所属のグループサウンズバンド「ファンキー・プリンス」に2代目ボーカリストとして加入[5][6]。1971年のファンキー・プリンス解散後に、同じ和光プロダクションに所属する北京一とコンビを結成する。1973年のコンビ解散後は、コンサート、DJなどを中心に活動するが、スキルアップのために渡米。ロサンゼルスにてライブやレコーディング活動を行い、帰国後はそれまでの経験をもとに、総合プロデューサーとしてラジオ・CF・テーマソング・CMソング、ステージ各種イベント等の企画制作や、国内外アーティストのプロデュース、イベント等を手がける。現在は、自らバンドを率いてライブを中心に活動中[1][6]。