北島見信 From Wikipedia, the free encyclopedia 北島 見信(きたじま けんしん、生没年不詳)は、江戸時代中期に活動した天文学者である[1][2]。名は見真とも表記される[1]。 見信の生涯については詳しく分かっていないが、長崎に生まれ、盧草拙の門人となり天文学を学んだとされている[1][2]。 享保3年(1718年)、草拙と同じ門下であった西川如見と共に江戸に入り、翌享保4年(1719年)には如見が当時の江戸幕府の将軍・徳川吉宗から天文に関する下問を受けている[2][3]。 享保5年(1720年)、吉宗が洋書を解禁する改革を行ったことで[3]、見信はヨーロッパの星図や地球図を参考に[2]、オランダ通詞の西善三郎との共著を執筆した[2]。これによって日本のみならず、清国や李氏朝鮮等の東アジアや太平洋諸島に日本の設置の提唱に貢献した[4]。 延享2年(1745年)11月、見信長崎奉行の天文方となり[3]、給料として白銀を20数枚受け取ったとされているが[2][3]、実際に役職が存在したのか疑問視されている[2]。 主な著作物 『紅毛天地二図贅説』- 1737年(元文2年)刊行[1][2]。元はヨハネス・ヘヴェリウスが執筆し[3]、1700年にアムステルダムで刊行した著書とされている[3]。全3巻からなるが、このうち下巻は現存しない[3]。 脚注 1 2 3 4 “北島見信”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)株式会社DIGITALIO. 2023年2月1日閲覧。 1 2 3 4 5 6 7 8 “北島見信”. 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)株式会社DIGITALIO. 2023年2月1日閲覧。 1 2 3 4 5 6 7 “北島見信”. 日本大百科全書(小学館)株式会社DIGITALIO. 2023年2月1日閲覧。 ↑ “北島見信”. デジタル大辞泉(小学館)株式会社DIGITALIO. 2023年2月1日閲覧。 典拠管理データベース VIAF この項目は、天文学(天文学者を含む)や地球以外の天体に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:天体/Portal:天文学)。表示編集 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles