浪速高時代は、2年秋の府大会準々決勝で藪田安彦が先発した上宮高と対戦して途中登板すると延長12回サヨナラ勝ち。準決勝の大阪桐蔭高戦では本塁打を放つが惜敗。近畿大会は準々決勝で2番手登板したが天理高の谷口功一に完封負け。3年次の1991年に春の選抜に出場。外野手登録であったが、2番手投手として救援登板し、この大会ベスト4の山梨・市川高を7回3安打1失点に抑えるも初戦敗退[1]。春の府大会は決勝で上宮高の藪田と再戦して完投するも延長10回の末に惜敗。
1991年のプロ野球ドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブから5位指名を受け入団。
一軍登板がないまま、1997年限りで現役引退。