北条政頼

From Wikipedia, the free encyclopedia

時代 鎌倉時代中期
生誕 不明
死没 弘長元年(1261年)
改名 政頼
 
北条政頼
時代 鎌倉時代中期
生誕 不明
死没 弘長元年(1261年)
改名 政頼
別名 六郎(通称)
幕府 鎌倉幕府
氏族 北条氏得宗
父母 父:北条時頼、母:不明
兄弟 時輔、時宗、宗政宗時政頼宗頼時厳、女子(早世)
テンプレートを表示

北条 政頼(ほうじょう まさより)は、鎌倉時代中期の北条氏の一門。第5代執権北条時頼の子で、第8代執権・北条時宗の弟に当たる。通称は六郎(ろくろう)。生没年や生母に関しては不明。『吾妻鏡』では2回だけ登場する[1]。1266年、宗尊親王北条政村の屋敷から御所へ移る際、伊賀朝房と共に馬の牽引を担当した他、同年将軍が京都へ帰還する際、供奉人として付き従ったことが記述される[2]

『吾妻鏡』に登場する「六郎政頼」は、政村の子にも同名の人物がおり、こちらではないかという推測もある[2]。さらには時頼の子であるという確証がなく、本当に時頼の子の政頼であるのか判然としないと指摘し、その実在を疑問視する見解もある[3]。父によって領地である信濃国良田郷に地頭として派遣され、弘長元年(1261年)に同地で没したとの説がある。

Related Articles

Wikiwand AI