天正12年(1584年)、北条氏政の6男として誕生。幼名を鶴千代といった[1]。
源蔵という名は正しくは北条氏照の仮名にあたる「源三」であると考えられている[2]。兄にあたる北条直重が北条氏照の養子となっていたが、天正13年(1585年)に千葉氏へ養子入りしたため、それに代わって氏照の八王子北条氏に養子に入ったとみられる[3]。源蔵を称したのは、後北条氏滅亡後に元服した後と推測され、さらにその後、通称采女を称したようである。しかし、具体的な動向は全く伝えられていない[4]。
なお、早雲寺所蔵の「平姓北条氏系図」には、後筆で「後相州鎌倉明月院住職以心伝公、寛永12年乙亥年5月19日」と補記されているが、典拠は確認できていない[5]。