北線 (カンボジア)
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1880年代からサイゴンからプノンペンを経由してシャム国境のポイペトに至る区間に鉄道を建設する計画は存在していた。
サイゴン - プノンペン間は資金不足のため建設が進まず、1929年に計画は頓挫したが、プノンペン - シャム国境までの区間は建設されることになった。
プノンペン - プルサト間は1932年6月28日、プルサト - モンコンブリー間は1933年7月に開通した[1]。
モンコンブリーからポイペトを経由して国境に至る路線の延伸は遅れている状態であった。タイ・フランス領インドシナ紛争後にカンボジア北西部がタイに併合され、ポイペトを経由するアランヤプラテート - モンコンブリー間は大日本帝国陸軍によって建設され、1942年4月10日に開通した[2]。
日本の降伏後にカンボジア北西部はフランス領インドシナに返還され、タイは国境付近の線路を撤去を行った。カンボジアは公式には1949年に独立を果たしたが、その後も鉄道はフランスの管理下で運行が続けられた。カンボジアへの返還は1952年まで行われず、返還後にカンボジア王立鉄道(Chemins de Fer Royeaux du Cambodge、CRC)と改称された。タイは1947年に撤去された線路を移設し、1955年4月22日からポイペトとアランヤプラテート間を週2便のシャトル列車が運行を開始した。
1961年にカンボジアとタイの間で、プレアヴィヒア寺院の遺跡を巡る国境紛争が発生し、同年10月23日に両国間の外交関係は断絶した。その4日後には国境を越える鉄道運行は再び停止され、タイは再び国境附近の線路を撤去した。
1970年カンボジアクーデターの後にカンボジアは再びタイとの政治的和解を模索し、1970年11月2日には週2~3便の列車運行が再開された。しかしながら、1974年7月2日にクメール・ルージュがカンボジア支配を強化したため、列車運行は再び停止されることとなった。
1974年以降にクメール・ルージュはシソポン以西の国境附近の線路を撤去したが、プノンペン - シソポン間では列車の運行が継続された。
1980年代から2000年代にかけては、カンボジア・ベトナム戦争と政府補助金の停止により、列車の運行はほとんど行われなくなった。路線の一部区間では、地元住民が観光客向けにバンブートレインと呼ばれるサービスを提供していた。
2009年にはアジア開発銀行とカンボジア政府は復旧資金の提供に合意し、2014年7月25日にポイペトで起工式が行われ北線の再建工事が開始された。
ポイペト - シソポン間48kmは2018年4月4日、シソポン - バタンバン間69kmは同年4月29日、バッタンバン - プルサト間(107km)は同年5月29日、プルサト - プノンペン間(166km)は同年7月4日にそれぞれ再開業した[3]。
2019年4月22日、ポイペト - バンクロンルク間1.3kmの線路が修復され、両国のフン・セン首相とプラユット・チャンオチャ首相の立ち会いのもと国境を越える貨物輸送が再開された[4]。