千切屋

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市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
604-8132
京都府京都市中京区高倉通三条下る丸屋町160番地
設立 1942年10月1日
(1725年2月3日創業)
千切屋株式会社
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
604-8132
京都府京都市中京区高倉通三条下る丸屋町160番地
設立 1942年10月1日
(1725年2月3日創業)
業種 卸売業
法人番号 4130001021623
事業内容 呉服の卸売業
代表者 代表取締役社長 布施正樹
資本金 9011.5万円
従業員数 51名(2023年5月現在)
外部リンク http://www.e-chikiriya.co.jp/
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千切屋(ちきりや)は中世から続く京都の和装業の老舗一門。弘治年間に西村与三右衛門貞喜が法衣店「千切屋」を開いたのが始まりとされ、三条衣棚町を中心に分家・別家を含め最盛期には100軒を超えるほど繁栄した。一門に共通する「西村家」は商家としては京都最古の家系とされる[1]

西村与三右衛門貞喜(1533-1604)は江州甲賀郡西村の里(滋賀県甲賀市水口)に生まれ、弘治年間(1555-1558)に京に上り、三条室町西入るの北側に店舗を設けて「千切屋」と称し、妻の実家が織物業であった縁から金襴袈裟法衣等の裂地の仕立て販売を始めた[2][1]。本家である与三右衛門家は、江戸時代初期に烏丸饅頭屋町に転居した[1]

名の由来

工匠神人(神社に隷属した手工業者)だった遠祖が春日神社若宮祭事の時、興福寺衆徒の供進する千切花の台を毎年製作奉納していたと伝えられていることから、屋号を「千切屋」とし、千切台を上から見た四角形を3つ山型に配したものを紋とした[2]。慣例として、分家・別家した一門にはこの紋を染めた布簾と千切台の図輻が本家より与えられた[1]

千切屋一門

一門系図によると主たる同族数十家を算し、そのほとんどが法衣を業とし、一部が両替と呉服を扱っていた[1]。最盛期には百余軒を数えた一門も安永5年(1776年)には62軒となった[1]。寛政元年(1789年)には、衣棚町33戸中、13戸を千切屋が占め、町内総人口の半数にあたる使用人の3分の2以上が千切屋一門の雇人だった[1]。同町の千切屋の数は享和(1801年)の頃より減り始め、幕末の元治元年(1864年)には衣棚町33戸中千切屋一門は4戸に減少するが、町内使用人の大多数は千切屋の雇人だった[1]。衣棚町より転居する者、法衣業から他に転ずる者も少なくないが、一門の結合は固く、一門の繁栄を目的に価格等の統制をする祇園講、機屋と仲買に対して西陣織の仕入・販売値段の決定をする春日講が設けられていた[3]

五色の辻

存続する千切屋

脚注

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