千日戦争
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内戦の勃発
1899年1月、コーヒー豆の国際相場が暴落し、保守党政権は関税収益の減少を紙幣増刷で賄おうとした。その結果、国家財政は破綻し、不換紙幣の乱発によりインフレーションが加速、経済は混迷を極めた。
自由党の支持基盤であるコーヒー農家は各地で反乱を起こし、7月28日には自由党がサンタンデール県で反乱の動きを見せた。政府は戒厳令を布告したが、10月18日には自由党急進派のラファエル・ウリベ・ウリベ将軍、ベンハミン・エレーラ将軍、フスト・ドゥラン将軍らが蜂起し、千日戦争に突入する。
反乱軍はベネズエラから軍事援助を受け、12月には自由党軍が保守党政府軍を撃破。保守党は国民党と超党派連合を組み対抗し、一方、自由党穏健派は急進派との共闘を拒否した。
内戦の泥沼化
1900年5月25日、パロネグロの戦いで自由党軍は国民党軍に大敗。自由党軍は正規戦を断念しゲリラ戦に転換、さらに2年にわたり抵抗を続けた。保守党による自由党員弾圧が強化され、自由党ゲリラの反撃で多くの人命が失われた。
7月31日、内戦の政治的解決を図る保守党伝統派(historicos)のホルヘ・モヤ・バスケス将軍がクーデターでサンクレメンテ大統領を追放し、後任に副大統領のマロキンを据える。マロキンは一切の交渉を拒否、その後徹底弾圧に方針転換。
1901年11月20日、アメリカ政府は国益保護のためコロンビアに軍事干渉。
1902年6月12日、内戦の軍事解決を断念した保守党政権は自由党との和解に乗り出す。自由党員への恩赦、自由選挙、政治・財政改革を約束。
11月21日、コロンビア政府と自由党が米艦ウィスコンシンで和平協定に署名。協定に基づき、自由党指導者は投降。内戦による死者は7万5000人とも15万人とも言われる。