山形県米沢市柳町(現:大町1丁目)に生まれる[1]。
山形県立米沢商業学校(現:山形県立米沢商業高等学校)を経て、1938年(昭和13年)に法政大学経済学部を卒業後、文藝春秋社に入社[1]。
営業部長、業務局次長を歴任後、1953年(昭和28年)取締役に選任。68年常務、74年専務、79年社長、84年会長、88年名誉会長となる[1]。
豪傑肌の人物として知られ、その人柄を菊池寛も惚れ込み[1]、大宅壮一ノンフィクション賞の選考委員も担った。また山形県人会東京連合会会長や米沢有為会の会長も務めた[1]。
1991年(平成3年)に電通からマスコミ功労者顕彰を追贈される[2]。