千葉胤平

南北朝時代の武将。千葉胤貞の嫡子。 From Wikipedia, the free encyclopedia

千葉 胤平(ちば たねひら)は、南北朝時代武将千葉胤貞嫡子(次男)。

生誕 不詳
死没 建武2年(1335年
別名 孫太郎(通称)
概要 凡例千葉胤平, 時代 ...
 
千葉胤平
時代 南北朝時代
生誕 不詳
死没 建武2年(1335年
別名 孫太郎(通称)
官位 大隅
幕府 鎌倉幕府
氏族 千田氏
父母 父:千葉胤貞、母:曾谷教信の娘
兄弟 高胤胤平胤継
テンプレートを表示
閉じる

生涯

曽祖父頼胤の没後、曽祖父に代わって祖父宗胤異国警固番役として肥前国に赴き下総国を離れた間に大叔父胤宗千葉氏家督を横領されてしまった。

そのため父の胤貞は、大叔父の子貞胤と千葉氏の家督を賭けて争うが、そのような中の建武元年12月1日1334年12月27日)、父より肥前国小城郡千田荘および八幡荘の総領職を継ぐ[1]。だがその後胤平についての記録が残っておらず、大叔父の子貞胤との争いには父の胤貞が前面に出ていることから、総領職を継いでまもなく没したものと推測されている。

下総国の所領はさらに弟の胤継(たねつぐ)に譲られ、肥前国小城郡については父の養子であった叔父の胤泰の知行とし、分割して継承されることとなった[2]

脚注

Related Articles

Wikiwand AI