千藤幸蔵

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本名 神田 勀人
別名義 藤本 秀也
藤本 琇也
藤本 尚陽
(いずれも旧芸名)
生年月日 (1937-10-24) 1937年10月24日
没年月日 (2012-01-04) 2012年1月4日(74歳没)
ちふじ こうぞう
千藤 幸蔵
本名 神田 勀人
別名義 藤本 秀也
藤本 琇也
藤本 尚陽
(いずれも旧芸名)
生年月日 (1937-10-24) 1937年10月24日
没年月日 (2012-01-04) 2012年1月4日(74歳没)
出生地 日本の旗 岡山県英田郡作東町(現・美作市
職業 民謡端唄俗曲歌謡曲三味線
活動期間 1963年 - 2012年
活動内容 民謡・端唄・俗曲・歌謡曲三味線方
作曲・編曲
民謡研究
著述業
主な作品
『鯨ヶ浦奇談』
『風の盆慕情』
『訪れる春』
『四国三郎』ほか多数
受賞
1987年 - 第42回文化庁芸術祭演芸部門「芸術祭賞」
2005年 - 財団法人日本民謡協会技能章
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千藤 幸蔵(ちふじ こうぞう、1937年10月24日 - 2012年1月4日)は、日本民謡三味線演奏者である。岡山県英田郡作東町(現・美作市)に生まれる。本名は神田勀人(かつと)。宮本武蔵の友人として有名な本位田又八の末裔でもある。

幼少期より宮田東峰一門でハーモニカを習得するなどし、地元の岡山県立津山工業高等学校を卒業後、大阪にて会社勤めの傍ら趣味でギターを弾き音楽活動を続ける。

大ファンであった三橋美智也の大劇公演で演奏された三味線豊吉の三味線に魅せられて自らも手掛けるようになり、ラジオの民謡番組を録音し、それを五線譜に書き起こすなど独学で民謡の勉強を続けていた。後に知人であった藤本直之 (藤本琇丈の実弟、藤本直久の総領弟子) により、折から来阪中であった民謡三味線の名人藤本琇丈に引き合わされ、1963年(昭和38年)7月、藤本の勧めにより上京、内弟子となる。

間も無く藤本秀也(ひでなり・琇也という字を用いた時期や、尚陽という芸名を用いた時期もある)の名を許され、放送レコーディング舞台に活躍する。

藤本琇丈率いる民謡三味線の大流派藤本流の幹部として流儀を統率し、現在も民謡三味線譜のベストセラーとなっている「藤本琇丈民謡選集」の出版業務、また当時としては画期的であった三味線の通信講座も千藤のアイデアによるもので企画・製作を統括し、また当時の民謡の会としては異例の国立劇場(大劇場)での「藤本会公演」を取り仕切り、見事成功に導くなど藤本流の名と技を全国に広める原動力の一つとなった功労者である。当時の兄弟弟子に、尺八米谷威和男、三味線の本條秀太郎らがいる。

自らの演奏・研究・執筆活動をより充実させるため、1981年(昭和56年)1月1日をもって姉弟子であった藤本秀次の仲立ちにより藤本流より独立。藤本流在籍時より自身の一門会として使用していた「千藤会」の名称を、藤本琇丈の許しを得て流儀名とし、「千藤流」を創立。自らの芸名千藤幸蔵と改め、千藤流家元並びに名取門弟によって組織される千藤会の会長となり、国立劇場に於いて創流記念演奏会を行う。

2005年(平成17年)、その卓越した三味線演奏技術と、長年の普及・研究活動に対して財団法人日本民謡協会より「技能章」が贈られている。

2008年(平成20年)、体調の不良もあり、古稀を機に演奏活動を事実上引退したが、楽譜集の出版や、民謡専門誌に於ける誌上講座などの執筆活動は亡くなる直前まで継続した。

2012年(平成24年)1月4日、心不全により自宅で死去[1]74歳没

活動

脚註

関連項目

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