南唐書 (陸游)
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陸游は馬令の『南唐書』がいまだに完備していないと認め、そこでその煩瑣な所を削り遺漏を補って、重ねて編集撰述を加え、そのまま『南唐書』と名付けた。陸游がこの書を撰述する時に掲げた修史原則は、「耳目の接する所を以て、隧碑(すいひ)・行述の諛辞(ゆじ)を察し、衆論の存する所を以て、野史・小説の謬妄(びゅうもう)を刊(かん)す。天下の公を取って、一家の私を去る」[1]ものであった。当該書の叙述は簡約にして完備、原理原則を持ち、そのため後人が極めて尊崇し、刊行印刷・校注するものが甚だ多い。元の天暦初め、戚光はこれの音釈1巻を作り、程塾らが校刊し、趙世炎が序を作った。清の道光2年(1822年)には緑簽山房刻本があり、嘉慶年間の湯運泰『南唐書注』18巻と『唐年世総釈』1巻・『州軍総音釈』1巻を附録していた。1915年には劉承榦の劉氏嘉業堂刻本があり、康熙年間の周在浚『南唐書注』18巻および劉承榦『南唐書補注』18巻を附録していた。現存、最も早い本は明の嘉靖43年(1564年)の銭穀抄本である。