南条新六郎
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上野国で館林藩家老の岡谷瑳磨介の第3子として生まれ、のちに同藩の南條源太左衛門の養子となる[4][5][1]。御番頭支配中小姓、半隊司令士、歩卒隊長を経て1871年中尉に任命される[4][5][1]。退官後、大蔵省銀行局の簿記学講習所(のちの高等商業学校(現一橋大学)附属主計学校)で学ぶ。同窓にのちにともに日本製粉設立に参画した旧館林藩士の笠原圓蔵がいた[6][7][8]。
1878年に館林町で群馬県初の銀行である第四十国立銀行を設立し、1891年に頭取に就任した[5]。1885年から1890年まで群馬県会議員も務めている[4][5][1]。
1894年、雨宮敬次郎の事業を引き継ぎ東京製粉を設立し[9]、次いで1896年には日本製粉を設立し社長に就任した[10]。1898年には桐生町に四十銀行を発足させ第四十国立銀行の業務を移管して頭取に就任[11][6][12]。
東武鉄道創立発起人および取締役、共正銀行頭取、東海生命保険取締役、西武軌道取締役[6]、上毛鉄道発起人、川俣鉄道発起人、日本織物監査役なども務めた[13]。館林貯蓄銀行、群馬県農工銀行頭取[1][4]。