1909年(明治42年)2月20日、広島県尾道市で軍人の長女として生まれた。
1923年(大正12年)に松竹楽劇部(現・OSK日本歌劇団)2期生となり、舞踊の基礎を学んだとされる。
その後、バレエダンサー・クセニア・マクレツォワ(英語版)に師事して西洋舞踊を学んだ[3]。
衣笠貞之助の映画『狂った一頁』の出演を機に脚光を浴びた後、日活京都撮影所の舞踊教師をおよそ1年間務めた。その後上京し、日本映画俳優学校の教師となるがほどなくして退任。横浜記念会館での公演を皮切りに、舞台で活躍して人気となった。門下生の育成を図るため[3]、「ミナミ舞踊研究所」を主宰していた[2][4]。