兵庫県三原郡賀集村(現在の南あわじ市)出身。1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業[3]。同大学院で学んだ後、海軍経理学校乙種学生を修了した[4]。海軍では中主計から主計少佐に至った[4]。その間、第十二駆逐隊主計長、臨時南洋群島防備隊附、砲艦「伏見」乗員、海軍経理学校教官、同監事を歴任した[4]。1924年(大正13年)に予備役に編入された後は、弁護士を開業した[3]。
1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)に兵庫2区(当時)から翼協非推薦で出馬し、当選を果たした[5]。
2年後の1944年(昭和19年)、現職のまま死去した。