厚見王 From Wikipedia, the free encyclopedia 厚見王(あつみおう/あつみのおおきみ、生没年不詳)は、奈良時代の皇族・歌人。知太政官事・舎人親王の子とする系図がある[1]。官位は従五位上・少納言。 聖武朝末の天平勝宝元年(749年)4月に无位より従五位下に叙される。孝謙朝の天平勝宝6年(754年)太皇太后・藤原宮子の葬儀の御装束司を務め、天平勝宝7歳(755年)少納言在任時に伊勢神宮の奉幣使となる。天平勝宝9歳(757年)従五位上に昇叙された。 『万葉集』に以下3首の歌を載せる。 かはづ鳴く神奈備川に影見えて今や咲くらむ山吹の花(8-1435) 『新古今和歌集』[2]など多くの和歌集に入集しており、後世まで名高い歌だった。 朝に日に色づく山の白雲の思ひ過ぐべき君にあらなくに(4-668) 屋戸にある桜の花は今もかも松風疾み土に散るらむ(8-1458) 久米女郎との相聞歌の贈歌。贈答は天平5年(733年)から天平13年(741年)頃と推定される。 官歴 『続日本紀』による。 天平勝宝元年(749年) 4月14日:従五位下(直叙) 時期不詳:少納言 天平勝宝6年(754年) 7月20日:御装束司(太皇太后・藤原宮子崩御) 天平勝宝9歳(757年) 5月20日:従五位上 脚注 [脚注の使い方] ↑ 宝賀[1986: 132] ↑ 『新古今和歌集』春下0161 参考文献 坂本太郎・平野邦雄監修『日本古代氏族人名辞典』吉川弘文館、1990年。 宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、1995年 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 Related Articles