原口幸隆
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経歴
人物
1957年以来、国際労働機関(ILO)副理事・理事を務め、日本のILO87号条約(結社の自由・団結権保護)批准などに尽力した[1]。1956年に太田薫、岩井章、宝樹文彦、原茂らに推されて総評議長に立候補し、高野派に推された市川誠に169対130の大差で勝利した[5]。1961年には総評社会党員全国連絡協議会代表幹事となるが[6]、のち総評右派に属し太田・岩井ラインを批判した[7]。1966年に総評民間単産会議議長に就任し、労働戦線統一を推進[8]。宝樹論文を契機にして労働戦線統一問題に関する議論が起きると、1967年7月の総評第34回大会で「原口四原則」を提起し、総評内部の意見対立を回避した[9]。1970年2月から滝田実全繊同盟会長(同盟会長)、宝樹文彦全逓委員長、宮田義二鉄鋼労連委員長らと労働戦線統一問題に関する非公式会議を持ち、同年11月に労働戦線統一世話人会を発足させ、そのメンバーとなった[8][10]。公共企業体等労働委員会(公労委)委員も務めた[3]。