1871年(明治4年)、岩手県江刺郡岩谷堂町(現在の奥州市)で生まれ育つ。父は菅野弥太郎。実家が貧しかったため、東京・烏森にある「紅葉館」の芸者として働く[2]。
1896年(明治29年)に後の夫である原敬の母・リツと会わされ、原家に出入りするようになり、1908年(明治41年)に入籍[3]。敬には貞子という前妻がいたが、1905年(明治38年)に離婚している。原敬の暗殺の際には遺言状を忠実に実行し、盛岡市で葬儀を執り行っている[3]。
1923年(大正12年)3月2日、感冒で療養中に肺炎を併発して死去[1]。51歳没。