原直行は元・新潟士族で、柏崎の人。維新後は新政府の軍制整備の中で海軍士官として登用され、明治5年(1872年)には海軍大尉に任じられ、正七位を授けられた。
明治6年(1873年)6月には海軍少佐へ進み、砲兵隊長を命じられている。翌・明治7年には業務上の不都合により3日間の謹慎処分を受けた記録が残る。
その後、原は陸軍および警察機構へ転じ、明治10年(1877年)3月2日には陸軍中尉兼三等大警部となった。
同年、西南戦争が勃発すると、自身が三等大警部として率いる警視隊400名とともに戦地へ向かい、3月26日に八代へ入港した。川路利良少将は薩軍の侵攻情報を受け、原隊を一時佐敷へ回航させたのち、4月1日に八代へ引き上げさせ、別働第三旅団に編入した。
4月4日には、川路は戦死した国分友諒少佐の後任として原直行を「第二大隊副官」に抜擢した。三等大警部を副官へ充てることは異例の大抜擢であったと記される。
続く4月13日の南田代村の戦闘では、薩軍が高台の墓地に布陣し、激戦の末、原直行以下48名の負傷者を出す大きな犠牲となった。