『三国志』の本文中には記述がなく、裴松之が注として引用している『呉録』にのみ記述がある。
建安元年(196年)、厳虎は孫策が攻めてきた際に城の防備を固める同時に、厳輿を派遣して和平を求めた。
会談中に孫策は剣を抜いて席を切った。厳輿が恐れおののくと、孫策は「あなたがとても素早く、座った状態から飛び上がることができると聞いたので、からかっただけだ」と言った。厳輿は「私は剣を見るとそうなる」と答えたところ、孫策から戟を投げつけられ、避けられずに死んだ。
武勇に優れていた厳輿が死んだことで厳虎の軍は動揺し、まもなく孫策に打ち破られた。