友永詔三
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1944年、高知県高岡郡窪川町(現四万十町)に生まれる[1][2]。
高知県立須崎工業高等学校、専門学校東京デザイナー学院インテリアデザイン科を経て1967年に東宝舞台美術部に入社する。同年、オーストラリアの人形劇団『Peter Scriven's Tintookies』(参考 ピーター・スクリベン)のオーディションに合格。人形デザインの勉強に専念するため東宝舞台を退社し、翌1968年にはオーストラリアに渡る。1970年までオーストラリアでピーター・スクリベン、イゴール・ヒチカ(Igor Hyczka、ロシア、マリオネット美術家)に師事する[2]。
帰国後、東京デザイナー学院の講師を務めながら、芸術マリオネット劇の上演、美術、演出、人形制作に携わる。
1978年にNHKより人形劇演出のオーディションの誘いがあり、これを受けて採用が決定。『プリンプリン物語』で採用された人形には、関節部分が球体となった球体関節人形があり、操演の難度は高いものの動作の自由度が高く、幅広い表現が可能であった。その後番組終了まで約500体以上の人形を製作した。
その後も、人形美術、舞台美術、木版画、木彫、ブロンズ像などの作品を数多く手がけ活躍を続けている。国内の美術館などでは定期的に個展が開催されている[1][2][3]。
エピソード
- プリンセス・プリンプリンは古代インドのラーマーヤナが元であるため、インドで装飾具や生地を購入していた。装飾には本物の銀を使用し、まつ毛は天然のホロホロ鳥の羽など素材にこだわった結果、1体作るのに100万円近くしたという[4]。当時は今までにないビジュアルだったため開始当初は「肌の露出が多すぎる」「白髪すぎる」と視聴者からクレームがきたことがあったが、それとは逆に人気が出たという。
- 友永は当時高価だったVHSビデオデッキを約30万円で購入し、制作した人形が『プリンプリン物語』でどう映るかを確認するためにほぼ全ての回を録画していた。NHKは元々残していたマスターテープが215回分(第1回と第443回~第656回)しかなかったため、2003年4月8日放送時(再放送2日目)のお詫び回で312回分の映像を提供した結果、保存のなかった132回分がアーカイブスに登録されている。[5]