反ポーランド感情

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反ポーランド感情(はんポーランドかんじょう)または反波は、ポーランド政府、ポーランド人、またはポーランド文化に対する反感意識、不信感、または敵対的な態度・偏見・言動。英語では、ポロノフォビア(Polonophobia[1])や反ポロニズム(anti-Polonism[2])とも言われる。

概要

その実態は、ポーランド人ポーランド系の祖先を持つ移民に対する人種的・民族的な偏見差別、さらには移民先の政府による半ば公然たる差別待遇まで、多岐にわたる。また、かつてのポーランドの拡張政策英語版や少数民族への弾圧などに対する反感からの反ポーランド感情も存在した。

ポーランドを支配または傀儡化したドイツロシアソ連による反ポーランド感情もあれば、ポーランドによって国の全土または一部が支配されたウクライナベラルーシリトアニアチェコなどによる反ポーランド感情もある。

各国における反ポーランド感情

ドイツ

第一次世界大戦直後、シレジア蜂起及びヴェルサイユ条約によってドイツ帝国の一部がポーランド第二共和国に組み込まれた。

アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツはこれに不満を持っていたが、ドイツ・ポーランド不可侵条約を結んだり、反共産主義で一致するなど当初は協調している部分もあった。ところが、ドイツ本国とその飛び地・東プロイセンを分断するポーランド回廊の割譲をポーランドに要求したところ拒否されたため、ドイツはポーランドへと侵攻した。

終戦後、ドイツはポーランドと和解。東部の領土をポーランドへと譲渡した。

冷戦後、ポーランドはドイツと同じEUNATOになったため、関係は大幅に改善した。しかし、ポーランドが何度かドイツに対して、既に解決済みである第二次世界大戦の件で賠償請求をしている事に関して、ドイツにおけるポーランドへの不満が存在する。

ロシア・ソ連

ロシア帝国ポーランド分割によってポーランドの一部を併合したが、ロシア内戦第一次世界大戦を経てポーランドは独立。その後のポーランド・ソビエト戦争ではポーランドが勝利した。

1939年、ソ連はドイツと不可侵条約を締結し、ドイツと共にポーランドへと侵攻。その後、ポーランド占領下にあったウクライナ西部ベラルーシ西部を占領。1940年、ソ連のNKVDポーランド軍将校や一般官吏聖職者などを虐殺した(カティンの森事件)。その際、虐殺されたポーランド人の数は約22000人または25000人である。

1941年独ソ戦が勃発するとポーランド亡命政府はソ連と和睦したが、カティンの森事件を巡って1943年4月に国交が断絶。同年7月に飛行機事故で亡くなったポーランド亡命政府のヴワディスワフ・シコルスキはソ連に暗殺されたとも言われている。

1944年ソ連赤軍がドイツに対する反転攻勢を開始すると、同軍は(当時ドイツに占領されていた)ポーランドの首都・ワルシャワ付近まで到達。ポーランド国内軍(AK)はワルシャワ蜂起を起こしたものの、ソ連軍は進撃を一時的に中止し、ポーランド国内軍を見殺しにした。

1945年、第二次世界大戦が終結すると、ソ連はヤルタ会談を理由にポーランドを傀儡化した(ポーランド人民共和国)。

ウクライナ

ポーランド・リトアニア共和国ウクライナを占領していた時期、ウクライナ・コサックボフダン・フメリニツキーはポーランドによるウクライナ人への弾圧に対して不満を持っていた。そして1647年、ポーランド系大貴族ダニエル・チャプリンスキがフメリニツキーの三男を殴り殺し、恋人のモトローナ・チャプリーンシカを奪った。フメリニツキーはポーランド当局にこの件を訴えたにもかかわらず、ポーランドは逆にフメリニツキーを投獄したため、脱獄したフメリニツキーはウクライナ・コサックのヘーチマン(棟梁)となり、ポーランドに対して独立戦争を仕掛けた(フメリニツキーの乱)。フメリニツキー率いるウクライナ・コサックは勝利し、ヘーチマン国家として独立した。

その後、ウクライナもポーランドもロシア帝国とオーストリア帝国によって分割された。オーストリア統治下のガリツィア地方では、ポーランド人エリートがウクライナ人に対して傲慢に振る舞っていたため、ウクライナ人の反ポーランド感情は徐々に蓄積されていった。

第一次世界大戦中にはロシア帝国が崩壊し、ウクライナ人民共和国が独立。大戦終盤にはオーストリア=ハンガリー帝国も崩壊したことで、西ウクライナ西ウクライナ人民共和国として、ポーランドはポーランド第二共和国として独立。独立直後のポーランドは、西ウクライナ人民共和国への侵攻を開始した(ウクライナ・ポーランド戦争)。西ウクライナ人民共和国はウクライナ人民共和国と統一宣言をすることで対抗するが、ウクライナ人民共和国はソビエト・ロシアソビエト・ウクライナ戦争で交戦中であったため西ウクライナに救援を送る余裕がなく、西ウクライナはポーランドにより占領された。

その後にソビエト・ロシアがウクライナ人民共和国を占領すると、前述したポーランド・ソビエト戦争が勃発。ウクライナ人民共和国亡命政府のシモン・ペトリューラは、ポーランドの西ウクライナ占領を承認する代わりにポーランドと和睦・共闘する約束を締結することに成功した。しかしポーランドがソビエト・ロシアと単独講和し、リガ条約でウクライナを分割したため、裏切られたウクライナはポーランドに対して不満を抱いた。

そして1930年、ついにポーランドはウクライナ人に対して大規模な弾圧を開始(パシフィカツィアウクライナ語版)。これをきっかけに、ウクライナ独立を目指すウクライナ民族主義者組織(OUN)の反ポーランド感情は大幅に上がった。

第二次世界大戦では、ウクライナ蜂起軍(UPA)もポーランド国内軍(AK)も同じ敵(ナチス・ドイツとソ連)と交戦していたにもかかわらず、敵対した。なぜなら、UPAは戦後に再独立するであろうポーランドが再びウクライナ西部を占領し、パシフィカツィアを再び行うことを恐れ、AKに対して攻撃を仕掛けたからである。これにより、両者による相互虐殺が発生した(ヴォルィーニの悲劇ウクライナ語版)。

戦後、赤化したポーランドは、「ヴォリーニの悲劇への報復」という名目で、UPAとは関係ない人々も含む20万人ものウクライナ人を強制移住させた。

冷戦において、ウクライナ人もポーランド人もソ連による恐怖政治に怯えていたため、これまでの因縁はさておき仲間意識のようなものが芽生えた。

冷戦終結と前後して、1991年ウクライナがソ連から独立すると、1989年民主化していたポーランドは同国の独立を承認した。その後、ウクライナとポーランドは和解を目指し、2014年クリミア危機ロシアのウクライナ侵攻でもポーランドはウクライナを支持・支援している。

しかし、両国の間には微かな緊張感も存在する。その理由の一つとして、かつてウクライナがソ連とポーランドに分割されていた時代に、前述したOUNに所属しており、現代ウクライナでは反ナチ反ソ反露の文脈で半国家的英雄となっているステパーン・バンデーラに対する評価を巡る対立が挙げられる。ポーランドは、「UPAメンバーの大半はバンデーラが創設したウクライナ民族主義者革命組織ウクライナ語版のメンバーであるため、ヴォリーニ虐殺の責任はバンデーラにある」と主張しているのに対し、ウクライナは「ヴォリーニの悲劇が起こっていた時期、バンデーラは(ウクライナ独立に反対した)ナチス・ドイツによって強制収容所に入れられていたため、その時期のバンデーラはUPAと連絡を取ること自体が不可能であったため、バンデーラはヴォリーニの悲劇には関与していない。そもそも、ヴォリーニの悲劇は相互虐殺であった上、根本的な原因はポーランド第二共和国政府が1930年にウクライナ人に対して大規模な弾圧をしたからだ。」「ポーランドこそ、ウクライナ人などを虐殺したポーランド国内軍を反ナチ反ソの文脈で英雄視しているが、我々はそれに対しては何も抗議していない。」と反論している。

また、ポーランドの政治家の一部はウクライナ難民を追放するべきと主張したり、ポーランド政府が(ウクライナがロシアに侵略されているにもかかわらず)ウクライナ産農作物を禁輸した事に関して、ウクライナ側のポーランド政府に対する反感が生じた。

リトアニア

第一次世界大戦終結を前後して、両国は独立した。しかし、ポーランドはリトアニアに対して戦争を仕掛け(ポーランド・リトアニア戦争リトアニア語版)、リトアニアの首都・ヴィリニュスを占領。

そのため、戦間期にはリトアニアとポーランドは国交断絶状態となっており、お互いにナチス・ドイツやソ連と対立していたにもかかわらず協力しなかった。

また、第二次世界大戦ではポーランド国内軍がリトアニア人を虐殺(ドゥビンギアイ虐殺リトアニア語版)したことからポーランド国内軍への反感が生まれた。

ベラルーシ

ウクライナ同様、ベラルーシもポーランド・リトアニア共和国やポーランド第二共和国に占領・弾圧されていたため、反ポーランド感情が高かった。

チェコ

ミュンヘン協定にて、チェコスロバキアズデーテン地方がナチス・ドイツに割譲された際、チェコスロバキアは敵の敵は味方論で、ナチス・ドイツと敵対するポーランドの支援を期待した。

ところが、ポーランドはチェコスロバキアを支援せず、ズデーテン地方を失った隙をついてチェコスロバキア領ザオルジェチェコ語版を占領。これをきっかけに、チェコスロバキアのポーランドへの不信感は高まり、第二次世界大戦で両国の亡命政府は同じ連合国に所属していたにもかかわらず、対立していた。

脚注

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