取替平
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「とっかえべえ」と呼ばれた飴売りは、左手に持った鉦を撞木で叩きながら、
交換したのは主に鍋、釜、キセル、折れ釘や壊れた釣鐘などの鉄製品で、持って行けば飴と交換した。大人相手には紙製の煙草入れを交換することもあったが、主な客は拾った折れ釘や壊れたキセルを持ってくる子供だった。交換の際には、大きな飴のかたまりを包丁で叩き割って、「ぶっかき飴」にして渡した。これは、持ち込まれた古鉄の重さにあわせて飴の量を調節できたからだという[3]。
家庭から出る古い金属製品はほとんどなく、煙管との交換が主であったため、
- 飴と取りかへる煙管の五体不具
- なげ首してきせるの集った飴の荷
- こふなっちゃ飴ニもあらず古きせる
などと詠われた[1]。
とっかえべえの始まり
古金と飴の交換
飴と古金を交換する者は、取替平以外にもいた。
貞享・元禄のころの『平仮名太平記』という浄瑠璃に、陣中で「トツケヘベエのあめや」が来たとある。また、『本朝文鑑』五ノ巻の「地黄煎」の解に「此ごろの人覚えたがひて、覗(のぞき)からくりのあしらひと思ひ、古鉄買のきせるの雁首にかへる」とある[注釈 5][4]。
埼玉県の北部でも「とっかへべにしょ」などと言って古金物と飴を交換した飴売りがいたと伝わる[注釈 6][5]。
福岡市内には、チータラ飴売り(チイタラ飴売り)と呼ばれる飴売りが飴と古鉄を交換していた[6]。明治10年前後には、福岡県遠賀郡水巻町の八所神社に置かれていた区役所に、行商の飴売りが来て、古金があれば飴と交換しようと申し出たという記録もある [注釈 7][7]。
北九州市八幡西区木屋瀬の「ピータラ飴」も、古金物と飴を交換する商いだった[注釈 8][8]。
朝鮮半島では、近代でも古金物やその他の廃品を飴と交換する飴売りがおり、日本国内でも朝鮮人飴売りが飴と古金の交換をしていた[9]。