古今亭右朝

From Wikipedia, the free encyclopedia

古今亭 右朝(ここんてい うちょう)は、落語家


本名田島たじま 道寛みちひろ
別名橘右朝(初代)
生年月日1948年11月2日
没年月日 (2001-04-29) 2001年4月29日(52歳没)
古今亭ここんてい 右朝うちょう
古今亭(ここんてい) 右朝(うちょう)
本名 田島たじま 道寛みちひろ
別名 橘右朝(初代)
生年月日 1948年11月2日
没年月日 (2001-04-29) 2001年4月29日(52歳没)
出身地 日本の旗 日本東京都台東区
師匠 三代目古今亭志ん朝
名跡 1. 古今亭志ん八
(1975年 - 1988年)
2. 古今亭右朝
(1988年 - 2001年)
出囃子 小鍛冶
活動期間 1975年 - 2001年
所属 落語協会
(1975年 - 1978年)
落語三遊協会
(1978年)
落語協会
(1978年 - )
受賞歴
受賞歴の項目参照。

古今亭 右朝(ここんてい うちょう、1948年11月2日 - 2001年4月29日)は、落語家。本名∶田島 道寛東京都台東区浅草橋出身。生前は落語協会所属。出囃子は「小鍛冶」。

三人兄弟の末っ子。国分寺市立第三小学校、国分寺市立第二中学校東京都立武蔵高等学校日本大学芸術学部文芸学科卒業。高田文夫とは日本大学芸術学部の同期[1]落語研究会出身。右朝が落研で会長の時、高田は副会長だった[2][3]

最初は寄席文字橘右近に師事し寄席文字を修行、「橘右朝」の名前をもらう。

1975年11月に三代目古今亭志ん朝に入門、古今亭菊助と共に楽屋入りし、「志ん八」を名乗る。

1980年6月古今亭菊之助古今亭菊松金原亭駒平と共に二ツ目昇進する。1987年5月に落語協会真打昇進試験に不合格となる[4][5]

1988年6月、真打昇進と同時に右近の「右」と師匠志ん朝の「朝」を取って古今亭右朝となる。落語協会の真打としては100人目で昭和最後の真打となった。この年から1993年まで毎年12月29日に新宿末廣亭の余一会・昼席で「こぶ平・右朝二人会」が催され、年末恒例行事となる。その後は、春風亭正朝と「右朝・正朝の二朝会」を開いていた。

2000年4月下席に主任で出演中、声が出なくなる奇病にかかる[6]。のちに肺がんと判明[7]。12月に声が出るようになり、一時的に寄席に復帰する。

2001年4月に代演で数日間池袋演芸場上席(主任:古今亭志ん朝)に出演。生前最後の出演となった[3]。4月29日、肺がんのため、死去[8]52歳没。半年後の同年10月1日には師匠である志ん朝も死去した。

2011年4月29日、築地ブディストホールで、オフィスエムズの主催で「没後10年 追悼 古今亭右朝を偲ぶ会 ~教えた噺、教わった噺」が開催された。出演は川柳川柳林家正楽(3代目)立川談之助金原亭世之介桂ひな太郎[9]

2023年5月8日、北沢タウンホールワタナベエンターテインメントの主催で「オール日芸寄席特別編 古今亭右朝二十三回忌追善公演 右朝ふたたび」が開催された。出演は高田文夫(構成・企画)・立川志らく春風亭一之輔柳家わさび[10]

芸歴

受賞歴

CD

  • 「「なごやか寄席」シリーズ 初代 古今亭右朝」 締め込み・百川(ユニバーサルインターナショナル)2010年6月
  • 「古今亭右朝1 にっかん飛切落語会にて収録」小言幸兵衛・羽織の遊び/花見の仇討・干物箱(2枚組CD/キントトレコード)2011年
  • 「古今亭右朝2 真打昇進前後を収録」初日口上・妾馬・粗忽の釘/紙屑屋・質屋庫・権助魚 (2枚組CD/キントトレコード) 2013年
  • 「古今亭右朝3」花見酒・転宅・たいこ腹/明烏・厩火事・宿屋の富(2枚組CD/キントトレコード)2017年
  • 「古今亭右朝4」夢金・崇徳院・替り目/幾代餅・一分茶番(権助芝居)・首屋(2枚組CD/キントトレコード)2021年

書籍

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI