一代で多数の製品を開発・事業化した経営者はそう多くはない。その背景には「日本には資源がないので、技術開発を怠れば国は滅びる」という故岡崎嘉平太の教えが礎となった。また、製造業の多くは設計や開発部門を重要視し、サービス部門を軽視しがちだが、「サービスこそが1番大事」として、生涯これを貫いた。発明人生の後半は、何度か命を脅かされる病との闘いが伴ったが、不屈の精神力で克服。健康になると、好きなゴルフを楽しんだ。6回程ホールインワンを達成したが、自慢することはなく、下手なゴルファーと一緒でも決して傷つけることなく、思いやる、優しい人だったという。実際、古川の人柄にひかれ、多くの経営者が集まった[4]。